2007年3月7日水曜日

Julio Cortázar

■日本でも評価の高いアルゼンチンの作家フリオ・コルタサル。短編に定評があり、主要なものは、あらかた日本語で読むことができる。たとえば『悪魔の涎・追い求める男』(岩波文庫)や『すべての火は火』(水声社)。とはいえ、コルタサルは小説のほかに、かなりの数の詩も書いた。それらがこのほど一冊の本にまとめられた。「詩と詩論」と題されたコルタサル全集の第四巻である。スペインの出版社から刊行され、千四百ページを超える分厚い本となった。

マドリードでの出版報告会では、コルタサルの最初の妻で、その最期を看取ったアウロラ・ベルナルデスは、「コルタサルは短編の書き手としてあまりにも有名になったので、十二歳の時から詩を書いていたことを多くの人びとは忘れてしまった」と語っていた。そんな事情もあってか、さまざまな雑誌に散逸していた作品や未発表の作品なども地道に探しだされ、この堂々たる第四巻が編まれたのである。

ほかの者たちが引きあげ/空になったグラスや汚れた灰皿がのこり/君とふたりだけになる/静かな淵のように君がそこにいることが/なんと素敵なことだったか/夜の端に君がいて/そしてなおもそこにいて、時を凌駕する/……」

「パーティーのあとで」と題された作品の一部である。しなやかなリズムやノスタルジックな気分は、パリを舞台に南米の不思議な娼婦ラ・マーガとの日々を描いたコルタサルの名高い長編小説『石蹴り遊び』(集英社)をほうふつとさせる。

コルタサルは一九五〇年代のはじめに、ブエノスアイレスからパリに移り住み、後半生をこの街で暮らした。その折々に密やかで、ナイーブといってよい声で小さな作品をつづった。それはアルゼンチンのさまざまな都市を転々としていた時代からの習わしだった。だからある意味では先のアウロラ・ベルナルデスがいうように、「コルタサルの最良の伝記は、彼の詩の中にある」ともいえるのである。
「北海道新聞」2005.12.27