2007年4月6日金曜日

Juana Inés de la Cruz

■近年メキシコの尼僧フアナ・イネス・デラクルスの著作が目につく。なかでも恋愛詩を収録した小ぶりな詩集が人気があるのか、何種類か出まわっている。スペイン語圏だけでなく欧米でも読まれており、このほどスペイン語・英語対訳の『尼僧フアナの愛の詩集』が送られてきた。百ページ足らずの本だが、フアナ・イネスのソネット(十一音節の十四行詩)がゆったりと組まれ、各ページに愛らしいキューピッドの木版画があしらわれている。

年々再評価の高まる尼僧フアナだが、じつは彼女が亡くなってから三世紀になる。メキシコがまだスペインの植民地であった十七世紀後半に、読書と学問に専念できる環境をもとめて、副王の華やかな宮廷で女官として仕えたあと、男尊女卑の結婚を嫌って、十代の終わりに修道女になる道を選んだ才色兼備の女性である。修道女になったあとも、副王夫人の庇護を受け、その求めに応じて作品をつづり、宮廷のサロンで披露した。

それらの作品が織りなすバロック的な愛の比喩の背後にあるのは、宗教的な情熱なのか、宮廷時代の失恋の痛手なのか、はたまた単なる豊かな読書体験なのか、これまでさまざまな説が語られ、興味が尽きない。

いずれにせよ、スペインにまで文名をとどろかせたフアナだが、世俗的な文芸に憂き身をやつしているとして教会から厳しく糾弾されてしまう。それでも反論を試み、司教に宛てた文章のなかで、女性の教育を受ける権利や、その文化的な役割について先駆的な論陣を張るが、ますます四面楚歌に陥り、筆を折らざるを得なくなった。

 『尼僧フアナ・イネス・デラクルスあるいは信仰の罠』と題された分厚い評論のなかでメキシコのノーベル賞詩人パスが皮肉る――黄金世紀の巨匠たちも神父だった。だが彼らが恋愛詩を書いても、教会の誰も文句をいわなかったではないか。
「北海道新聞」2004-6-22