2007年5月27日日曜日

Haruki Murakami

■このところスペイン語圏で村上春樹の作品があいついで翻訳され、ちょっとしたブームになっている。『ねじまき鳥クロニクル』『スプートニクの恋人』のあと、『ノルウェイの森』で火がつき、『国境の南、太陽の西』『海辺のカフカ』と続いている。代表作の『ねじまき鳥クロニクル』がいち早く翻訳され、日本での発表順とは必ずしも一致しないが、熱烈な愛読者がスペインやアルゼンチンでも誕生し、とにかくつぎの作品を読みたいというような状況になっている。日本では、小説だけでなく、エッセイや、愛読者と交わした厖大なメールのやりとりをまとめた本さえあることを彼らが知れば、日本語を解するわれわれをさぞうらやましく思うにちがいない。

七百ページ近い分厚い一冊の本になった『ねじまき鳥クロニクル』や、ほどよい厚みの『スプートニクの恋人』を読んでみたが、なかなかみごとな訳である。いずれもルルデス・ポルタとジュンイチ・マツウラの共訳で、村上春樹の文章の都会的な軽やかさと叙情性が申し分なくスペイン語に置き換えられている。――「それは彼女にライカ犬を思い出させた。宇宙の闇を音もなく横切っている人工衛星。小さな窓からのぞいている犬の一対の艶やかな黒い瞳。その無辺の宇宙的孤独の中に、犬はいったいなにを見ていたのだろう?」(『スプートニクの恋人』)これはスペイン語で読んでも完璧である。

ところで近年、頭角を現してきたラテンアメリカの一群の新しい作家たちがいる。たとえばペルーのアロンソ・クエトやボリビアのパス・ソルダンなどだ。じつは彼らも村上春樹の信奉者である。アメリカのコーネル大学の教壇に立つパス・ソルダンなどは、「『スプートニクの恋人』や『ノルウェイの森』を読んで、この日本人が確かにたぐい希な作家であることがわかった。ポストモダンなテクストを書きながらも人を感動させることができる。(中略)そして不可視な現実と実在する非現実の境目に食い込むのだ」とコラムで述べている。

ガルシア=マルケスにしてもボルヘスにしても、この世のマジカルな層を描きだして、多くの傑作を生んできた。そうした巨匠たちを乗りこえる手だてを見つけることがラテンアメリカの新しい作家たちの課題となっている。そうしたなかで、東洋の作家がそれを軽やかでしなやかな言葉でやってのけていることに驚嘆しているようだ。
「朝日新聞」2007-4-21

2007年5月20日日曜日

Sergio Pitol

■メキシコの作家セルヒオ・ピトルは、スペイン語圏の最も重要な文学賞であるセルバンテス賞を受賞した。下馬評ではペルーのブライス・エチェニケやウルグアイのマリオ・ベネデッティらの名前もあがっていたが、けっきょく72歳のピトルに決まった。授賞式はスペイン国王臨席のもとにセルバンテスの命日に当たる4月23日におこなわれる。

ピトルは長年、外交官として活躍するかたわら小説や評論を書いてきた。北京、ワルシャワ、モスクワなどに赴任し、大使としてチェコのプラハでも数年暮らしたことがある。作品ではそうした異国でのエピソードや、幼くして両親を失い、祖母の家に引きこもって暮らした日々のことが想起される。

「私の作品では、思い出や評論や小説など、いろんなジャンルが混ざり合うんです」とあるインタビューで述べている。「自分の書く評論はいささか退屈で、暗くなりがちなので、あるときふと、小さな物語を折り込んだり、夢の切れ端を忍ばせたり、身近な人物を登場させたりしてみたんだ」

このスタイルが功を奏し、受賞の理由にそうした「多様なジャンルの巧みな融合」を果たしたことがあげられている。ポストモダンの系譜に連なるような斬新で「開かれた」作品を書いたというわけである。
さらに、赴任した先々の作家たち、たとえばゴンブローヴィッチ、アンジェイェフスキといった東欧の作家たちをつぎつぎにスペイン語圏に翻訳紹介したその功績が称えられた。チェーホフ、コンラッドの作品まで入れると、百冊近い作品の翻訳がある。

外交官として仕事ぶりはどうだったのかと気になるところだが、彼の人気と評価の高まりはいずれにせよ、退官後の『フーガの芸術』(1996)からだろう。小説とも評論とも随筆ともつかぬそのシームレスなスタイルは、意外にも日本のわれわれには親しみやすい。そういえば、仏教的なものが自分にしっくりくるともピトルは述べていた。
「朝日新聞」2006-2-14

2007年5月13日日曜日

Octavio Paz

■ペルーのカトリカ大学の出版局から芭蕉の『奥の細道』のスペイン語訳が送られてきた。

いつものように茶封筒に、麻ひもでくくっただけの簡素な梱包だ。長旅でぼろぼろになった封筒から、大層な本が出てきたりするので、いつも驚かされる。

『奥の細道』は、五十年ほど前に、メキシコの詩人オクタビオ・パスと林屋栄吉氏によって翻訳された。これまでスペイン語に訳された日本文学のなかで最も幸運な作品だろう。パスはのちにノーベル文学賞を受賞することになるが、当時は四十歳代の前半で、まだ世界的には知られていなかった。

スペイン語版『奥の細道』はこの半世紀のあいだに、メキシコやスペインなどいくつか国でも刊行され、そのたびに内容が一段と充実してきた。一九七〇年代のラテンアメリカ文学のブームの時代には、スペインの有力なセイクス・バラル社から刊行され、「松尾芭蕉の詩」のほかに、新しく「俳句の伝統」と題された長文の評論が冒頭に付され、訳書とはいえ、パスの代表作のひとつとして、スペイン語圏の各国で広く愛読されるようになった。

今度のペルー版でも、この充実の路線が継承されたようだ。一九九〇年代に日本で刊行された豪華本にならって、与謝蕪村が写した『奥の細道』とパスが翻訳したテキストが左右のページに相対し、さらに蕪村の手になる色刷りの俳画が随所に折り込まれているのである。

かつてさまざまな国の詩人たちと、西洋で初めて連歌の制作に挑んだパスである。ペルー版『奥の細道』では、期せずして、十七世紀の芭蕉や十八世紀の蕪村と時空を超えたコラボレーションをなしとげたといえるかもしれない。魅力を増したこの訳書は、さらに多くの読者を得ていくにちがいない。
「北海道新聞」2003-10-21