2007年10月8日月曜日

Frida y Diego

■今年はメキシコの画家フリーダ・カーロ(一九〇七~一九五四)の生誕百年。またその夫君であった壁画家ディエゴ・リベラの没後五十年にもあたる。というわけで、ふたりにちなんださまざまなイベントや展覧会が世界各地で盛大に開催されている。

リベラは亡くなる前に、ふたりが暮らした通称「青い家」の一室に多くの箱を封印し、自分の死後十五年間は開けないようにと友人に託した。友人は十五年どころか五十年近くその遺言を守った。そして三年前についに封印が解かれ、このほどそれらの箱の中身が明らかにされたのだ。

出てきたおびただしい品々のうちで最も多かったのは書類や手紙類だった。写真も五千枚以上見つかり、なかにはフリーダが自ら撮影したものもあった。写真家だった父親の影響や、それらの写真とフリーダの絵画との関係はすでにいろいろ取り沙汰されはじめた。

バス事故の後遺症で幾度も手術をよぎなくされたフリーダだが、背骨を支えるための石膏製のコルセットや、きゃしゃな体を包んだ民族衣裳も多数出てきたので、博物館となった「青い家」の展示コレクションは、今後いちだんと充実することになるだろう。

とはいえ、そうした品々でとりわけ興味を引くのは、やはりベッドに横たわったまま晩年にフリーダが走り書きしたさまざまな文章だ。トロツキーやイサム・ノグチなど、恋人たちに宛てた手紙を含め、フリーダの約三百点の手紙を1冊の本に編んだ研究家ラケル・ティボルによれば、フリーダはときには、同じ家の中にいるリベラにも「手紙」を書き送っていたのだそうだ。

ティボルは若い時分に「青の家」で過ごし、フリーダとリベラの暮らしぶりをわが目で見ている。新しく出てきたそれらの手紙やメモ類が、ティボルによって編まれた「フリーダ・カーロのエクリチュール」の新しい版に加えられる日もそう遠くあるまい。
「北海道新聞」2007-9-25