2007年12月12日水曜日

Pablo Neruda

「ネルーダのアルバム」と題された、チリのノーベル賞詩人パブロ・ネルーダ(一九〇四-一九七三年)のビジュアルな伝記がこのほどスペインで刊行された。約四百枚の写真が掲載され、ネルーダの波乱に富んだ生涯を写真と文章で追うことができる。

興味を引く断章のひとつは、一九二〇年代の終わりから一九三〇年代のはじめにかけてのもので、ネルーダ自身が、この時期のことを「ほんとうの孤独とはどういうものか初めてわかった」と述懐している。当時のネルーダは二十代の後半で、外交官として東南アジアのラングーン(現在のヤンゴン、ビルマ)、コロンボ(スリランカ)、バタビア(現在のジャカルタ、インドネシア)、カルカッタ(インド)などを転々とした。一九二八年の二月には中国や日本を訪れ、厳しい寒さに遭遇した様子を友人宛の手紙につづっている。

ヨーロッパからも遠く離れた異国での孤独な日々は、執筆中だった「地上のすみか」(一九三三年)の内省的な声調に反映されている。この時期に、何人かの女性と出会い、彼女たちに救いを求めるように恋愛し、そのつど不首尾に終わっている。そうした昂揚感と哀しい結末の体験も「地上のすみか」の作品として結実し、ネルーダの最初の詩集「二〇の愛の詩と一つの絶望の歌」とともに、多くの読者の心を今なお捉えつづけている。

今回の「アルバム」に収録された四百枚の写真を追っていくと、ネルーダのその後の変貌も手にとるようにわかる。孤独だった彼のまわりには、やがてにぎやかな声が飛び交い、多くの作家や芸術家、政治家や革命家や女優たちが集まり、ネルーダはさながら鳥たちが群れ集う緑豊かな大樹となっていく。

「大いなる歌」(一九五〇年)を経て「基本的なオード」(一九五四-一九五九年)のころになると、詩人は、玉ねぎだろうとレモンだろうと木片だろうと、目に映るものすべてを詩に歌うことができた。触ったものをすべて黄金に変えたギリシア神話のミダス王になぞらえて、ネルーダが詩のミダス王と呼ばれるようになってすでに久しい。