2012年11月6日火曜日

現代ラテンアメリカ文学併走(安藤哲行著)




■ラテンアメリカ文学のここ数十年の歩みを知る上で絶好の書が登場した。バルガス=リョサが『都会と犬ども』を発表し、世界的なラテンアメリカ文学の《ブーム》が巻き起こってからそろそろ半世紀が過ぎようとしている。リョサは二〇一〇年にノーベル賞を受賞したが、ある意味ではひとつの時代の区切りをなすできごとだったとも言えよう。本書は、そうした輝かしい時代を視野におさめながら、ブームの時代が過ぎ去った今日のラテンアメリカ文学の状況を浮かび上がらせる。サブタイトルの「ブームからポストボラーニョまで」は、まさしくこの本が射程におさめるフィールドである。

 第1部の「ラテンアメリカ文学の過去・現在・未来」では、3つの評論が並び、メキシコとアルゼンチンの文学の現況を展望し、ラテンアメリカ文学の全体にも目配りする。メキシコにはルルフォやフエンテス、アルゼンチンにはボルヘスやコルタサルといった日本でもよく知られた作家たちがいるけれど、後続の世代にとって彼らの先に新たな文学の地平を切り開くことは、そう容易なことではなかったようだ。彼らの苦闘や善戦ぶりは第2部において詳しい。

 第2部のタイトルは、書名にも冠された「現代ラテンアメリカ文学併走」。分量的にも本書の中核をなしている。「ユリイカ」に十数年にわたって連載された文章が主で、ページを繰ると、大家と呼ばれるようになった馴染みの作家たち(ボルヘス、フエンテス、マルケス、ドノソ、コルタサル、サバト、プイグ、エチェニケ、アレナスなど)に代わって、新しい世代が一九九〇年代の終わり頃からしだいに勢いづいていくのがわかる。アルゼンチンのアイラ、メキシコのボルピやパディージャ、チリのボラーニョ、コロンビアのボテロやバジェホなどなど…。こうして名前を並べただけでは、何の興も湧かないが、著者の文章を読むと、ひとりひとりが非常に魅力的な書き手であることや、ラテンアメリカ文学にも新しい時代が到来していることが実によく伝わってくるのだ。

 それぞれの作品のあらすじが巧みにたどられ、注目すべき点や、どこに新しさが潜んでいるのかが屈託のない自在な語り口で語られている。また原書からの引用も随所に織り込まれ、ストーリーだけでなく、それぞれの作家の文体の質感や味わいも伝わってきて、ときにはすぐにもその作品を丸ごと読みたくなってしまう。現に私も何冊かさっそく注文してしまったほどだ。これらのラテンアメリカ文学を紹介する文章は、無味乾燥な情報の羅列ではなく、読む者を楽しませ、揺り動かすパワーを秘めているのだ。

 第3部は「ラテンアメリカ文学のさまざまな貌(かお)」で、ここではふたつのテーマがじっくり掘り下げられる。ブーム時代の代表作のひとつ、ムヒカ=ライネスの長編『ボマルツォ』と、カトリックとマチスモの頑強な社会で、いまなお人々の顰蹙(ひんしゅく)を買うゲイの問題だ。ゲイをあつかった小説がつぎつぎと書かれ、ラテンアメリカでも年ごとにその系譜が豊かなものになっている。そうしてこれらの評論でも、物語のてんまつを面白く語る力が発揮され、読者を飽きさせない。ある意味ではこの本のすべてのページがその巧みな語りの力に支えられており、それがこの本を単なるラテンアメリカ文学の案内書以上のものにしているのでる。
「週間読書人」2012-01-13