2013年3月6日水曜日

Julio Llamazares/フリオ・リャマサーレス


スペインの作家フリオ・リャマサーレス(1955~)が30代の終わりに書いた作品である。「黄色い雨」「狼たちの月」につづく三冊目の邦訳となる。郷愁と悲哀が漂い、透明感のある時間が描き出される。

タイトルから無声映画を扱った本かと思ってしまうが、むかしの写真をめぐる話である。語り手の母親がのこしてくれた古い写真を眺めながら、スペイン北部の小さな炭鉱の町で過ごした少年の日々を追想する。

日本語版への序では、「実をいうとこの作品は紛れもなくフィクションとしての小説なのである」とわざわざ断っている。けれど、やはり少年時代の体験をエッセイ風に書いていると思いながら読むのが、この「小説」の正しい読み方であろう。

写真のほとんどが褪せた白黒写真である。子供の頃の仲間や祖父の古いラジオ、サーカスや祭りの一場面、あるいは父や母……。写真によって記憶が呼び覚まされ、28編の物語が丹念に紡ぎだされる。

登場する人物たちの多くは、もうこの世にいない。砂屋の息子は「父親のトラックに乗って」事故にあう。オートバイを乗り回していた伊達男タンゴは、木に激突してその血で雪を赤く染める。椅子に座った「ぼく」を顎の上でぐるぐる回してくれたサーカスの「アザラシ男」は「カシの木の枝にロープをかけて」首をくくる。

とはいえ彼らは、写真のなかで永遠に生き続けているかのようだ。古いラジオと一緒に写った両親も、こちらに顔を向けたまま「今も永遠をじっと見つめて座り続けている」のである。

作品の終わりの方で語り手が、メキシコの作家ルルフォは、「写真が死と深く結びついていることを知っていた」と述べるくだりがある。リャマサーレスは、時間が止まり、永遠に静止したその写真が、ときには「命にあふれている」ことも知っている。
「北海道新聞」
2012.10.28